014.イメージせよ!チャレンジせよ!2/3
プロになる青写真が頭の中に確実にあった
― やめたくなったことは?
まったくないです。
とにかくボールを蹴ることを嫌いにならなかった。それに、嫌なことがあっても、
仲間がいたからやめなかったんです。
プロになる青写真が頭の中に確実にあったことも大きかったと思います。
― フットサルの出会いと転向のきっかけは?
初めはサッカーの練習の一環でした。
フットサルは5対5の少人数でやるので、ボールを触れるチャンスがいっぱいあります。
サッカーでは僕のポジションが、"点取り屋"だったので、
狭いところでイメージして、いかにゴールを決めるかという練習のためにやっていました。
そのタイミングでフットサルの全国大会に出場したところ、
日本代表監督の目に留まって、日本代表になりました。
これがフットサル選手としてのキャリアの扉を開くきっかけです。
日の丸を背負って闘うことが、今までに経験したことのない気持ちにさせてくれました。
代表として試合をすると責任感が芽生えて、「代表が強くならなければ」と思いました。
しかし、当時は日本にプロがなかったので、プロのある国でプレーすることが、
レベルアップにつながると信じ、イタリアでトライアウトを受けました。
― フツーの子がプロ選手に・・・周りの反応は?
小さい頃、僕とサッカーをやっていた友達や一緒にプレーした人で
プロになると思っていた人はいないんじゃないかな。驚いたと思いますよ。
僕は僕で「やれる」と思っていましたけどね(笑)
父が亡くなった後、「家業を継ぐように」と親戚中に詰め寄られたことがあったんですが、
未来形というか、日本を背負って世界で闘う自分の姿が明確にあって、
「2年間だけ待って」と頼んで、勝負に出ました。
日本代表になった途端、みんなの態度がガラッと変わって、複雑な気分でした(笑)
・・・日本人初のフットサル・セリエA・プレーヤーとなった氏は高い決定力と鋭い守備を武器に
『チャンピーノ』『ラツィオ』で活躍。
帰国後はフットサル界で誰よりも早く世界に目を向け、
海外への扉を開いたパイオニアとして注目される存在に。
現在は指導者としても多忙な日々を送っている。
ここからは全国各地を周って指導行脚を続ける氏に指導者としてのポリシーなどを伺っていく。
チャレンジせよ!
自分がプロになるまでのプロセスや現役時代を思い返しても、
レベルが上がれば上がるほど、ミスや失敗が目立つものだというのは経験済みです。
ミスをしないように準備し、100パーセントの力でチャレンジする。
そして、ミスをした場合にどうするか。
成長する上では、この2通りの自分が必要だと考えます。
子どもを指導するようになって心がけるのは、ミスや失敗をあえてさせることです。 ボールを止める動作ひとつとっても、時間をかければかけるほど、敵との距離が近くなり、 取られるリスクが上がります。 そこで取られてしまえば、失敗です。 でも、それは失敗や悔しさを知るチャンスですし、カバーの仕方、 取り返し方を覚えるチャンスなんです。
勉強でも同じですね。間違った答えを言う経験が大切ですよね。 間違っていたとしても、考えて、勇気を持って答える経験が何年か後に確実に活きてくるということを伝えたい。
今の子は大人しすぎます。僕の子ども時代を考えるととんでもない!(笑)
― 相根澄の指導ポリシーは?
『チャレンジ』です。
スクールの名前にしようかと思っているくらい、チャレンジが大切だと思っています。
どれだけチャレンジできるか。
例えば、電車の中でお年寄りが目の前にいたら、席を譲りますよね。
でも、目の前にいない少し離れた場所に立っているお年寄りにはどうでしょう。
恥ずかしがらずにできるでしょうか。
大人がつい億劫になってしまうようなことでもチャレンジできる子どもを育てていきたいです。
全力でチャレンジしてみて、失敗した後に考えることで知恵がついて、いつかうまく行く。
そのサイクルが大事だということ、失敗してみて考えて、
工夫して成功したという成功体験をたくさんの子どもたちに知ってもらいたい。
だから全力でやらない子は真剣に叱ります。
反対に、全力でやってうまくいかない子がいたら、みんなの前で必ず褒めます。 その意味を知った子が増えると、チームにも好影響を与えるからです。