003.イチゲキ 世界を目指せば、舞台はつながる 2/3
― 明確にビジョンを描けていたとはいえ、最高経営責任者の責務は 相当なプレッシャーだったのでは?
それはもう、言葉には言い表せないものでした。 道場での厳しい稽古や道場を経営していた時代に経験してきた重責とは、 全く種類の違うものでした。肩がずっしりと重くなるということを初めて体感しました。
自分の行動、成功、失敗が、自分だけでなく、お客様はもちろん、 スタッフの人生にも大きく影響を与える。応援してくれる師。支えてくれる人々への想い。
そして、絶対に負けることが許されないという状況。
最初の6ヶ月間は家に帰らず、ずっと泊り込んで仕事をしていました。
単純に忙しくて、家に帰る暇がなかったということもありますが、
それは経営者として経験の浅い私なりの工夫と挑戦でもありました。
昔、ビジネス誌に尊敬する経営者のインタビューが掲載されていまして、
その中に、
「ビジネスマンとして上達する近道は、とにかく仕事の量をたくさんこなす。
圧倒的な量をこなすことで、見えてくるものがある。
私はそのために職場の行き帰り以外は、ずっと仕事をしていた」
といった内容が書いてありました。
それなら、私は泊まりこんでみようと(笑)。
尊敬する経営者の仕事量をまずは上回ってみようと。
― ビジネスパーソンを目指す上で影響を受けた人や忘れられないエピソードを 教えてください。
空手の世界で出会った偉大な師、仲間、今、お付き合いいただいている
ビジネスパーソンの方々。
出会いには意味があって、必要だからこそ出会うのだと
思っていますから、出会いの数だけ影響も刺激も受けていますが、
特に大きいのは父の存在です。
父は海外を飛び回る仕事をしていまして、
17歳の時、アメリカに連れて行ってもらいました。男同士の2人旅です。
旅慣れた父と一緒にレアな場所ばかりを車で周遊したのですが、
当時、東洋人が滅多に立ち寄らないようなところでは度々、警官に呼び止められました。
悪いことをするつもりは毛頭ありませんが、それが相手にちゃんと伝わるとは限りません。
警官がひたすらまくしたてて、緊張した空気になることもありました。
「一体、僕たちはどうなるのだろう?」
当時の私は父ほどの語学力もありませんから、内心ドキドキですが、
当の父はいたって冷静で、場慣れしていて、むしろ警官よりもずっと堂々として見えます。
話せばわかってもらえますが、伝え方も大切です。
結局、かなりの長い間、警官と父とのやり取りが続いた後、
誤解が解けて事なきを得ることがありました。誠実だが強気。
そして、時に明るく豪胆に話す父は私の父ではなく、一人の頼もしいビジネスパーソンでした。
ビジネスの世界ではコミュニケーション力以上の何かが求められるのだと確信しましたし、
今の自分は世界では通用しない、ということがよくわかりました。
― ビジネスパーソンとしてのお父様の姿が刺激になった?
はい。
ビジネスを進めるには智恵も知識も経験も必要ですが、
それ以上にヒューマンスキルというか、人間力が欠かせないのだということを
父の姿を目の当たりにして感じました。
それまで、話に聞くことはあっても、父がどんな風に仕事をしているのかを見たことは
ありませんでした。実際、親の仕事ぶりはそう見られるものではありませんよね。
異文化の中で巧みな交渉力を発揮する姿はただただ眩しくて、
あの時の父は「世界を相手に対等に闘う格好良いビジネスパーソン」でした。
「すごいな、こうなりたいな」と思いました。
父は広い世界を見せようと私を連れ出してくれたのですが、 私はその旅でビジネスパーソンとしての理想形を見たのです。 同時に、世界で通用する、世界を相手に闘う自分の姿がはっきりとイメージできました。
当時は留学することも考えていましたが、アイデンティティを確立することで、
世界の舞台に立ったときに個性を発揮できると考えました。
この経験が結局、私を極真空手に結びつけてくれました。
「28歳で経営者になる」と決めたのもこの旅の後間もなくのことで、
そこからの10年は私にとって、まさに個の力をつけるための旅でした。























